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ブログ留学 2021年8月24日
はじめて教壇に立った日
こんにちは!
おとなの英語予備校・代表の谷口翔太です。
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高校3年生のとき、ボクは留学先のアメリカの高校でアルバイトをしていました。
ビザの関係で、学校の外でのアルバイトはできなかったので、当時通っていた高校でアルバイトをしていたんですが、この経験はボクの留学生活を充実させてくれました。
日本の高校では、その学校に通う学生全員が学校の掃除をするのがふつうですが、ボクの通っていたアメリカの高校ではそういう習慣はありませんでした。
毎日放課後になったら、アルバイトの学生が分担して学校の掃除をしていたんです。
さらにボクの通っていた高校は同じ敷地内に同じ系列の小学校があり、小学校の掃除をするのもボクたちの仕事でした。
ボクは特に小学校の掃除を担当するのが好きで、掃除をしながら学校に通っていた小学生とよくおしゃべりをしていました。
実は結構小学生に人気だったんですよ(笑)
もちろん、サボってたわけではありませんよ(笑)
ボクはよく仕事をすることでも評判でしたから!
そのアルバイトがきっかけで、放課後事務作業をしている小学校の先生たちと話をするようになり、先生たちとも仲良くなりました。
そんなある日、ある先生から「今度、4年生と6年生に特別授業をしてくれないか」とお願いされました。
日本の文化について、どんなことでもいいので2時間授業をしてほしいとのことでした。
小学生の友だちもたくさんいましたし、先生方にもお世話になっていたので、その場でOKしました!
日系アメリカ人の友だちに協力してもらい、前半は漢字の勉強をして、後半はみんなで折り紙で遊びました。
予想以上に盛り上がり、あっという間の2時間!
4年生、6年生のみんなもとても喜んでくれて特別授業は大成功、先生にもすごく感謝されました。
今思えば、ボクが初めて教壇に立って授業をしたのはこのときだったんです。
当時はまさか自分が教える仕事をすることになるとは思いませんでしたが、誰かに自分の持っている知識や経験を伝えることの楽しさを知る大きなきっかけだったと思います。
今日も応援しています!
英語学習がんばってください:)
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ブログ留学 2021年2月2日
母国で味わえない苦労を味わえることが留学の魅力
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おとなの英語予備校・代表の谷口翔太です。
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あなたは「留学」と聞いて、どんなイメージを思い浮かべますか?
楽しそう!
羨ましい!
憧れる!
そんなポジティブな印象を抱く人が多い中、「大変そう」とか「なんか不安」とか、マイナスのイメージを持つ人もいるんじゃないかと思います。
ボクは高校と大学で2度の留学経験があります。
ボクの人生を大きく変えてくれた大イベントであり、本当にかけがえのない貴重な経験でした。
トータルで考えると最高に楽しい時間だったんですが、留学して最初の数ヶ月は全くといっていいほどいい思い出がありません。
辛い思い出ばかりです。
徳島県の小さな田舎町で生まれ育ったボクにとって、留学先のアメリカでの生活は苦労の連続でした。
ひどいホームシックになり、何度も日本に帰りたいと思ったものです。
日本では当たり前にできていたこと、何でもないことが、留学先ではふつうにできないことがたくさんありました。
例えば、買い物。
コンビニでもスーパーでも、洋服屋さんでも、レジで支払いをするだけで一苦労でした。
何を聞かれているか全然分からなくて、とんちんかんな答えを返して、相手を困らせることもしばしば。
学校の勉強もそうです。
当たり前のことですが、すべて英語で書かれた教科書を読み、宿題をするわけですが、時間がかかるだけじゃなくて、結局何を答えていいのかわからないなんてこともよくありました。
キリスト教徒のホストファミリーとの生活もなかなかうまくいかないことも多くありました。
毎週教会に連れていかれ、礼拝と聖書の勉強。
文化の全く異なる人たちといっしょに生活すると、お互いにぶつかることもあります。
英語が話せなかったボクは、十分にコミュニケーションを取ることもできず、言いたいことも言えない状態でモヤモヤが溜まっていくばかり。
話せばキリがないくらい、いろんなことがありました。
今ではインターネットやSNSが普及し、海外にいても日本の家族や友だちと簡単に連絡を取ることができるようになりました。
日本に国際電話をかけることすら簡単にはできなかった20年前。
自分の母国語で誰かを頼ることはほぼできませんでしたが、だからこそたくさんの苦労を自分で乗り越えてきたことはボクの宝です。
英語を話せるようになったことよりも何倍もの価値のある経験をさせてもらったと思っています。
今日も応援しています!
英語学習がんばってください:)
653 -
ブログ留学 2020年4月7日
アメリカの高校卒業を決断した日
こんにちは!
おとなの英語予備校・代表の谷口翔太です。
高校2年生の夏、ボクは当時通っていた地元の高校を中退しました。
高校を辞めた理由はひとつに絞れるわけではありませんが、感覚的に「ここにいたらダメだ」とわかっていました。
田舎の高校生なりに、将来どうなりたいのかを真剣に考えていました。
でも明確な答えは全く出ず…
とにかく大きな変化が必要だと思い、高校を辞める決断をしました。
その後アメリカに単身留学、シアトル郊外の高校に通うことになりました。
アメリカに行っても、明確な目標もなく、ただその日その日を過ごしているだけでした。
留学して数ヶ月経った頃、
クリスマス休暇の数日間、現地で知り合った日本人の方のお宅に泊まらせてもらうことになりました。
そこにはボクと同じようにアメリカに単身留学している日本人の高校生が数名。
彼らもクリスマス休暇でその方のお宅に招かれていたそうです。
そんなクリスマスイブのお昼ご飯を済ませた後、その方が留学生のボクらに、彼がアメリカに来てビジネスを始めた頃のことを話してくれました。
その話をすごく簡略化してお伝えすると、こんな感じ…
確かジュースを販売していたと言っていたように思いますが、ちょっと記憶が曖昧です…
最初はビジネスは順調に進み、売り上げもどんどん上がっていきました。
味を占めた彼は別のビジネスにも手を出していきました。
その結果、最初は順調だったビジネスもどんどんうまくいかなくなり、ついには会社は潰れてしまったのだそうです。
そして彼はボクらにこう教えてくれました。
「たったひとつのことを、最後までやり抜くこと。
それはとても尊いことなんだよ。」
その言葉を聞いて、ボクはしばらく考えていました。
カッコつけて高校を中退しアメリカに来たものの、どこへ向かえばいいのか全くわからず、先のことなんて何も見えていませんでした。
ボクが今最後までやり抜かなければならないたったひとつのこと
それは何か…
思いついた答えはたったひとつ。
アメリカの高校を卒業しよう!
将来どうなるのかなんてわかりませんが、今自分が置かれた環境で、今やるべきことは、きちんと高校に通い卒業することしかないと思ったんです。
そのとき以来、先が見えなくて不安になったり、未来のことで迷ったりする度に、
「今やるべきこと、今できることに集中して精一杯やろう!」
と心に決めています。
そうすれば、必ずその先にやるべきことが見えると信じています。
今日も応援してますね!
英語学習がんばってください:)
4852 -
ブログ留学 2019年12月1日
また帰りたい場所
こんにちは!
おとなの英語予備校、代表の谷口翔太です。
ボクには、忘れられない、そして絶対に忘れたくないと思っている“あの瞬間のあの感覚”というのがあります。
それは、アメリカ留学中に滞在先のシアトルで味わったある感覚なんですが、
“感覚”なので言葉ではなかなか伝わりにくいかもしれません。
ある日、ホームステイ先から数百メートル離れたコンビニに買い物をしに行くことになりました。
それまでは、ホストファミリーや友だちと一緒に行動したりしていましたから、実はこのときが、ボクが初めてたった一人でアメリカで行動したときだったんです。
毎日通る道の見慣れている景色。
しかもたった数百メートルの距離。
でもこのとき、家を出た瞬間、自分がものすごく小さい存在に感じられました。
本当に小人になったような、何とも不思議な感覚でした。
アメリカという国の大きさに圧倒されたような感じがしたんです。
アメリカに初めて留学したとき、ボクは高校生でした。
地元徳島県にいたときには、もう大人になったような気分で過ごしていました。
「自分は一人で何だってできる」
そう思っていたくらいです。
でも家族も親戚も友だちもいないアメリカに来て、己の小ささに気づくことがたくさんありました。
アメリカでは、いくら家族とはいえ、日本ほど「和」の感覚はなく、自分のことは自分でする「個」の感覚が強いんです。
毎日、自分の身のまわりのことをしていると、
「これはいつもお母さんがやってくれてたんやな~」
「あ、これはお父さんがやってくれてたな~」
とかいろいろ気づきが出てきました。
その度に自分はまだ未熟なんだと感じました。
皮肉なものですよね。
「一人で何でもできる」なんて調子に乗って高校を中退し留学したアメリカで、
「自分一人では何もできてなかった」ということをボクは思い知らされたんですから。
アメリカに留学して初めてひとりで行動をした“あの瞬間”、
自分が小人のように思えた“あの感覚”が、
ボクが留学を通して成長していくスタートになりました。
そういう意味で、アメリカという国、その中でもシアトルという街はボクを大きく成長させてくれた、ボクにとって「第二の故郷」です。
また近い将来、シアトルに帰る日を楽しみに、ボクも英語学習がんばろうと思います!
今日も応援していますね!
英語学習がんばってください:)
3310 -
ブログ留学 2019年11月23日
アメリカで認められた瞬間
こんにちは!
おとなの英語予備校、代表の谷口翔太です。
アメリカに留学してしばらく経った頃、ある授業で自分の住んでいる街についてプレゼンをするという課題が出ました。
特にプレゼンの時間やスタイルは指定されていなくて(本当は指定されていたのかもしれませんが、当時のボクの英語力ではそこまで状況がわかっていませんでした…)、とにかく全員が自分の住んでいる街について教室の前で発表することになったんです。
確か課題の準備には1~2週間もらえたと思います。
しかしまだ留学したばかりのボクにはハードルが高過ぎました。
何をどうしていいのか全くわからないまま、時間だけが過ぎていきました。
友だちがいれば、相談することもできたでしょうが、そのとき友だちは一人もいない状況。
家に帰ってホストファミリーに相談するだけの英語力もなく、結局プレゼンの日が来てしまいました。
ちなみにプレゼンの順番は決められておらず、やりたい人からどんどん前に出て発表していくという形式。
恐らく、日本だと順番を決めていないと自分から積極的に前に出るということはあまりないと思うのですが、そこはさすがアメリカ!
誰に言われるわけでもなく、次々と前に出てプレゼンをしていくではありませんか!
しかもみんな人前で話すことにすごく慣れている印象でした。
結果的にアメリカの学校に通ってみてわかったことですが、アメリカでは人前で話す機会が多いんです。
だからクラスメートを見て、人前で話すことに慣れている印象を受けたのかもしれません。
とにかくみんなの話し方がすごくて、本当にレベルの違いを見せつけられた感じです。
中にはパワーポイントまで使って説明するヤツまで現れる始末…
「マジで何なんだコイツらは!」と思いました(笑)
結局その日は全員が発表し切れず、残りのメンバーは次の授業で発表することになりました。
何も準備していなかったボクはホッとすると同時に、もう後がない状況まで追い込まれました。
いよいよ発表当日、残りのクラスメートがプレゼンをしていく中、留学生のボクは最後に残りました。
教室の前に出て、準備した言葉を絞り出しました。
そのときの内容は今でもはっきり覚えています。
“I live in Kirkland. Kirkland is a very beautiful place.”
「ボクはカークランドに住んでいます。カークランドはとても美しい場所です。」
当時のボクにできた精一杯の英語。
そしてこの後に、辞書で調べておいたあるフレーズを言うと決めていました。
タイミングを狙ってボクが放った言葉、それは…
“That’s all.”
「これだけです。」
その瞬間、クラス中が笑いに包まれました。
それはボクのシナリオ通りの結果でした。
自分の英語力でプレゼンをするには限界がある。
だったら自分の英語力のなさを武器に変えて、笑いを取りにいく!
準備段階でボクはそう覚悟を決めていました。
正直、先生も含めクラスのみんなが笑ってくれたことでホントに安堵したのを覚えています。
友だちのいないボクにとって、それはイチかバチかの賭けでしたから。
無事に笑いを取ることに成功したボクが、自分の席に戻ると、周りに座っていたクラスメートがいろいろ話しかけてきてくれました。
「めっちゃおもしろかった」
「最高だった」
それからクラスメートがボクという人間に興味を持ってくれて、そこから友だちの輪が広がっていきました。
この“短すぎるスピーチ”は、ボクが初めてアメリカの人たちに認めてもらえた瞬間だったんです。
今日も応援していますね!
英語学習がんばってください:)
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